ドーム兄弟とその工房

  

社主一族の名を冠したドーム社の歴史は1878年に始まる。仏東部地方モゼル県の公証人であったジャン・ドーム(1825-1885)が、経営破綻した「ヴェルリー(「ガラス工場」の意)・サント・カトリーヌ」をこの年に買収したのがその発端である。1873-74年頃ナンシーで創業したこの工場はゴブレットや香水瓶などの日用的なガラス製品を製造していたが、当初より経営は振るわなかった。ジャン・ドームは創業時から経営者たちと親交があり、彼らに資金援助を行っていた。彼の死後、工場経営は二人の息子オーギュスト・ドーム(1853-1909)とアントナン・ドーム(1864-1930)に引き継がれた。その後、弟アントナンの主導で1891年頃から芸術的な製品に力を注ぐようになって、同社は大きな躍進を遂げて行く。1901年2月にナンシー派が正式に発足したとき、アントナン・ドームは副会長を務めたが、ナンシー派にあってドーム兄弟だけが美術の専門教育を受けた経歴がなかった。しかし、ナンシー派の規約序文にあるように、同派が製造業者と装飾美術家たちによる、郷土殖産のための組合であったことを想起すれば、芸術家ではない彼らがこの芸術家集団において重要なポストにあった理由が窺えよう。クリスチャン・ドゥビーズ氏(現ナンシー国立美術学校教授)が、二人は「実際家praticiens」であったと指摘する通り、鋭い洞察力を持った“経営者”であった。彼らは同じくナンシー派の一員であったジャック・グリュベール(1870-1936) やアンリ・ベルジェ(1870-1937)といった才能豊かな装飾美術家たちをデザイナーとして登用し、芸術的価値の高い製品を生み出していったのである。

 

 

ジャン・ドーム

画像典拠 Daum Maîtres Verriers, Noël Daum, Edita Denoël, 1980.

 

オーギュスト・ドーム

画像典拠 Daum, Clotilde Bacri, Michel Aveline Editeur, 1992.

アントナン・ドーム

 画像典拠 Daum, Clotilde Bacri, Michel Aveline Editeur, 1992.

 

ジャック・グリュベールは、1889年からパリ装飾美術学校とパリ国立美術学校で学び、1893年から1897年までドーム社の装飾部門の長を務めた。彼はまたナンシーの美術学校でも1916年まで教鞭をとっていた。ドームの製品に自然主義的モチーフを導入したのはグリュベールであった。象徴主義的ともいえる繊細な描写で芸術性の高い絵画的作品を、多くはないが、ドーム社に遺している。アンリ・ベルジェはナンシーの美術学校で学んだ後、1895年から1930年代までの長きに渡りドーム社の装飾家として活躍した。緻密で正確な自然描写は彼の弛まぬ自然観察に基づくものである。ベルジェはドームの工房において最も多くの意匠を考案したデザイナーであり、多大な経済的成功をドーム社にもたらした協力者でもあった。

 

 

ジャック・グリュベール パリのアトリエ、1923年撮影

画像典拠 図録Jacques Gruber et l’Art Nouveau. Un parcours décoratif, 2011

 

 アンリ・ベルジェ

画像典拠 仏ウェッブサイトHP Nancy Tourisme, ecole-de-nancy.com

 

 

デザイナーの名を社名に冠しているか否かの違いだけで、ガレ商会においてもドーム社においても、基本的な作品制作のありようは同じであった。デザイナーが二次元平面に図案を起し、それに基づいて吹き師や加飾職人といったアルティザンたちが立体作品を完成させるという分業プロセスである。繰り返し指摘されるように、ガレ、ドーム、ベルジェ、グリュベールといった美術家たちが手ずからガラス作品を作っていたわけではない。こうした当時の制作プロセスの詳述は別の機会に譲るが、装飾美術における著作権、すなわち、誰の手で製作したのかということよりも、誰の脳裏で発想したのかがより尊重すべき創作行為であるという了解が、19世紀末すくなくとも制作現場のデザイナーとアルティザンとの間にはあった点に留意すべきだろう。エミール・ガレが次のように書きのこしている通り、19世紀末には装飾美術、つまり実用を伴う美術の著作権は必ずしも明確に認められているわけではなかった。「ロダンは彼の作品の贋作を生かす権利も、殺す権利も持っているが、ラリックの優美な作品の模造品が出たとしても、彼にはロダンのような権利はまず認められないだろう。」(『ガゼット・デ・ボーザール誌』1897年9月1日号所載「1897年のサロン」)一方で、デザイナーの発想を忠実に造形化するには、何より職人の優れた手が不可欠であることも等しく了解されていた。ナンシー派の規約序文に「同盟(ナンシー派)が最も緊急な課題と考えているのは、職人の欠乏を防ぐこと」と記されている通りである。(そのために「同盟は職人や職工の仕事に対する保護者の偏見と闘う」ともある。)

 

 

ドーム工房の加飾作業風景(ルーによるグラヴュールの工程)

ジャック・グリュベール画 1897年

画像典拠Nancy 1900, Rayonnement de l’Art Nouveau, Gérard Klopp, 1989.

 

 

ドーム社もガレ商会と同様、さまざまなガラスのマチエールや技法を開発していった。1899年にドーム社の名で特許を取得した「クリスタル・ガラス等のための高火度焼成による内部加飾 décoration intercalaire à grand feu pour cristaux, verreries, etc.」もそのひとつであった。これはふたつのガラス層の間にさまざまな模様を挿入させる技法である。「アンテルカレールintercalaire」という語は、我が国ではガラス技法用語として頻繁に用いられているが、フランス語では「挿入される、差し込みの」を意味する一般的な形容詞であり、ガラスの技術用語としてこの語のみが単独で用いられているわけではないことを付記しておこう。

 

 

ドームの加飾工房 (1900年パリ万博で使用した写真)

画像典拠 Daum Maîtres Verriers, Noël Daum, Edita Denoël, 1980.

 

 

ドームの工場外観 (1900年パリ万博で使用した写真)

画像典拠Daum Collection du Musée des Beaux-Arts de Nancy,

Réunion des Musées Nationaux, 2000

 

 

ドーム社が芸術的にも商業的にも成功を収めたのが照明器具の分野であった。エミール・ガレは同郷の友人で美術批評家のロジェ・マルクス(1859-1913)に宛てた1902年1月の手紙のなかで、電気の照明分野への着手が遅れたことを悔いている。「照明を作ることに取り組んでいます。4、5年前に始めていればよかったのですが、ランプに灯をともす人々が、誰も私に注文をよこさなかったのは不思議です。」ドーム社では1898年あたりからすでに照明器具を手掛けており、ガレ商会に先駆けて、この分野のパイオニアであった。しかし、1900年パリ万博の呼び物のひとつがエナール設計(アンリ・ボーが照明を担当)の「電気館」であった事実が示すように、電気の照明がガスや石油などの照明を駆逐し、人々の私的な生活空間を包む光にとって代わるのは、ようやく20世紀になってからのことである。事実、1903年にパリのルーブル宮マルサン館(現パリ装飾美術館)で大規模なナンシー派展が催されたとき、ここにはまだ電気の照明は設置されていなかった。ナンシーのガレの自宅にはじめて電気がついたのは1902年の春のことである。さらに、次のような文学的証言も遺されている。「当時(1894年頃)のパリは今よりも暗くて、中心部でも公道に街灯はついていなかったし、まして電気の引かれている家は数えるほどしかなかった」(プルースト『失われた時を求めて』「花咲く乙女たちのかげにI」292頁、鈴木道彦訳、集英社、1997年)。

 

 

1900年パリ万博へ出展した卓上ランプ各種

画像典拠 Art Nouveau l’épopéé lorraine, Alain Dusart, François Moulin,

La Nuée Bleue, Editions de l’Est, 1998.

 

 

1900年パリ万博の電気館

画像典拠 A Paris vers 1900 par Louis Cheronnet,

Editions des Chroniques du jour, G. Di San Lazzaro, Editeur, Paris, 1932.

 

ドーム社による特許申請書類

画像典拠 Daum Maîtres Verriers, Noël Daum, Edita Denoël, 1980.

 

 

1900年パリ万博ではドーム兄弟にグランプリ(グループXII、クラス73、ガラス製造者部門)が、また、その協力者のアンリ・ベルジェにもメダルが授与されている。この時アントナンはレジオンドヌール・シュヴァリエ(勲爵士)を受勲した。1904年には、アマルリック・ヴァルテール[ワルター](1870-1959)がドーム社に加わり(1903年11月契約)、パート・ド・ヴェールの製造に携わった。1906年からはアンリ・ベルジェのデザインにより、トカゲ、蛾、蜂といったモチーフのパート・ド・ヴェールがヴァルテールによって制作され、商業的な成功を収めた。第一次大戦後ヴァルテールはドーム社を離れ、自身の工房をナンシーに構えている。ドームの工房は1905年には400人以上の人員を抱えるまでの大規模なガラス・メーカーに成長していた。   ドーム社はナンシーに現存するガラス・メーカーだが、創業者のドーム一族による経営は1987年に途絶えている。

 

 

ドーム工房の炉のホール 1894年撮影

画像典拠Daum Collection du Musée des Beaux-Arts de Nancy,

Réunion des Musées Nationaux, 2000.

 

 

山根郁信(美術史家)