語り部の時
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2021.03.08
| その他
1861年2月号の『マガザン・ピトレスク』誌に掲載されたオオサンショウウオ
『マガザン・ピトレスク Le Magasin Pittoresque』誌は、1830 年代に英国で普及
していた大衆紙に倣って、エドゥアール・シャルトン Édouard Charton (1807-1890)
が、1833 年 2 月にフランスで創刊した月刊誌である。シャルトンの刊行目的の
ひとつは、これを大衆の教育に供することにあった。そのため多くの挿画を取り
入れた視覚的な誌面構成が講じられ、それがこの雑誌を大部の流通へと導く要
因の一つとなった。同誌は 1937 年まで続刊されている。read more
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2020.08.20
| エミール・ガレ
ガレの陶器の制作について
ガラス・陶器・木工の三分野で三世代に 亘って創作活動が展開されたその豊
富で多様な作品制作の実態については今日なお多くの誤った解釈が巷間に流布
している。それは作品の帰属性、制作年代、位置づけ、評価などとも密接に結び
ついており、極めて重要な問題を 孕んでいる。本稿では今一度「ガレ」の名を
冠した作品たちがどこで、どのように生まれたのかを振り返っておこう。read more
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2019.08.30
| その他
ナンシー派 L’Ecole de Nancy
ひとつの流派様式、あるいは地域様式という枠を超えてフランスの工芸史に革新的な役割を果たしたナンシー派(産業芸術地方同盟Alliance Provinciale des Industries d’Art )は、正式には1901年2月に組織された装飾美術家と製造業者の共同組合であり、郷土の手工業振興、産業の促進、産業芸術の普及、芸術教育の環境構築などがその主たる活動目的であった。彼らの創作理念の中核をなしたのは、徹底した自然主義、言い換えれば自然の形態とその象徴性を専ら着想源とする原理であった。それはナンシー派の規約序文にリーダーのエミール・ガレ(1846-1904)自身が次のように示した通りである。
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2018.09.24
| ドーム
ドーム兄弟とその工房
社主一族の名を冠したドーム社の歴史は1878年に始まる。仏東部地方モゼル県の公証人であったジャン・ドーム(1825-1885)が、経営破綻した「ヴェルリー(「ガラス工場」の意)・サント・カトリーヌ」をこの年に買収したのがその発端である。1873-74年頃ナンシーで創業したこの工場はゴブレットや香水瓶などの日用的なガラス製品を製造していたが、当初より経営は振るわなかった。ジャン・ドームは創業時から経営者たちと親交があり、彼らに資金援助を行っていた。彼の死後、工場経営は二人の息子オーギュスト・ドーム(1853-1909)とアントナン・ドーム(1864-1930)に引き継がれた。
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